小説 [フーガ 遁走曲 / 白薔薇婦人が愛した庭 ] なつのまひる 著

1980年代のヨコハマを舞台に繰り広げられる物語

第五章 月光

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      1


『周囲の人から何か情報が入手出来るかもしれない』
 ミオと八木は、橋田病院のウワサの真相について近隣住人から情報を得たかった。しかし、橋田病院周辺には住居どころか何も無かった。あのタクシー運転手なら何か知っている筈だが、もう一度同じ運転手に遭遇する確率は如何程か……。それにミオには未だ、再度あの駅に行く気構えが出来ていなかった。タクシーの方は八木があたってみると言うので、ミオは別の角度から調べてみる事にした。

 月曜日の放課後、ミオはもう一度森山美貴子の家を見に行った。何か分かるかもしれないし、誰かから話を聞けるかもしれない。昨日は富士子に促されるまま、そこを立ち去ってしまっていたからだ。

 ミオは今日美貴子の庭を見て、昨日とは明らかに違う光景に気が付いた。庭木戸のすぐ先に有った、富士子が欲しいと言っていたバラの枝が、すっかり切り取られていた。あれから何かあったのだろうか?緑の葉をつけていたバラの低木が無くなって、庭は寂しさが漂っていた。そして、奥に建つ息子の家が顕になった様だ。
 通りから見ると息子の家は大半が美貴子の家に隠れているが、横の道へ廻ると息子の家の表玄関が有る。美貴子の家と息子の家は同じ敷地にあり、5メートル程度の間隔が空いている。そこも裏庭というのか小道というのか、通りから見える美貴子の庭に通り抜け出きる様に続いている様だ。ミオがそこを離れようとした時、息子の家から中年男性が出てきた。その男性は郵便受けから新聞を取ると、家の中に戻って行った。少し足を引きずっていた。
 ミオは表に戻り、美貴子の家を眺めた。ひっそりしていた。昨日は日曜の朝だったからか、それとも自分の気分に因るところがあるのか、こんなに無機質な感じでも無かった気がした。庭の様子以外に家も何か違う気がするが、気のせいだろうか……?

「森山さんのお知り合いの方ですか?」
 ミオが余りにもまじまじと美貴子の家を見ていたからだろうか、一人の婦人が小声で声を掛けてきた。富士子と同年代位だろうか。
「美貴子さんのちょっとした知り合いです」
 ミオは無難な答えを返した。
 その婦人は「まあ!」と驚き「ちょっとこちらへ……」と言って、道の向かい側の石垣の下へミオ引っ張って行った。
「突然ごめんなさいね。私、そこの石野という家の者です」
 そう言って婦人は美貴子の家の斜向かいの家を指し、話を続けた。
「……美貴子さん、お元気なんですか?この頃ちっとも、姿をお見かけし無くて……」
 石野さんは単に興味本意といった感じでは無く、心底美貴子を心配している面持ちだったので、信用できる人物だとミオは思った。
 ミオが富士子からと聞いた話を伝えると、石野さんは大層驚いた。
「……まあ、本当ですの?美貴子さんとは、私が石野に嫁いだ時からのお付き合いになりますから、結構長いんですよ。美貴子さんは、あんな風に歳をとっていきたいなというお手本の様な方でした。昔から義母も褒めてましてね。『美貴子さんを見習いなさい』ってよく言ってましてね。……だけど、驚いたわ。……亡くなっていらしたなんて。……すごくお元気そうだったのに。……変だな、変だなとは思っていたんですけれどね……。でも、まあ、ビックリですよ。……寂しいですね」
「美貴子さんの息子さんは、ご近所の方に何もおっしゃってないんですか?」
「ええ、何も聞いてませんよ!入院なさった事はともかく、お通夜だってお葬式だって何処かで済ましてしまったんでしょ。考えられませんね!庸雄ちゃんは一体、どういうつもりなんでしょう。美貴子さんにはこんなに立派な自分のお家があるっていうのに!病院で亡くなったら、家にも連れて帰ってあげないなんて!……何だか、サッサと始末したみたいじゃありませんか!立派に育ててもらったのにねぇ……薄情な息子さんよねぇ……。義母が聞いたら怒り出しますよ。……それに、何なのでしょうね?親のお葬式に実の妹を来させないなんて!美貴子さんが気の毒だわ~。最後の最後に……ひどい仕打ちね……。それに亜貴子ちゃん達も無念が残るわね」
「亜貴子さん達をご存知なんですか?」
「ええ、私が石野に嫁いできた時には、亜貴子ちゃんは未だ小さくってね。よく庸雄ちゃんが泣かしてたんですよ。義母なんか『自分の妹をあんなに苛めるなんて、本当に変わった子供だよ!』って怒っていたくらいですから。あ、別に悪口を言う訳じゃないんですよ。でもね、庸雄ちゃんの意地悪さって、聞いてると腹が立つんですよ。庸雄ちゃんは勉強が出来たみたいですけど……それでというのかしらね、皮肉屋でね。癪に障るほど嫌な気分になる事を言って苛めていましたね。『お前は猫のシッポだ。有っても何の役にも立たない無駄な物っていう意味だ』なんて言ってね。……未だ学校にも上がる前の幼い妹に、中学生の兄がそんな事を言うんですからね~。呆れちゃうって言うか……。庸雄ちゃんは惣領なんですから、お父様が亡くなった後は『自分が父親代わりになる』位の気概が持てなかったものでしょうかね……。勿論、口で言うほど容易い事じゃないですけどね……。
 私の孫も今中学生ですけれどね、『何かあったらバアちゃんはオレが守る!』なんて言ってますよ。生意気盛りの戯言で、実際は甘ちゃんではありますよ。でも男の子って、大体はそんな感じなんですけれどね……。
 庸雄ちゃんは、亜貴子ちゃん達に嫉妬していたのか……だからといって、美貴子さんを大切にするわけでも無かったし……お嫁さんも、何だかモッサリした感じで愛嬌の無い人を貰って……。庸雄ちゃんも、最初はリン子さんという綺麗な女性がいたんですよ。亜貴子ちゃんとも仲が良かったのに……。結局、今のお嫁さんと結婚なさって……」
「お嫁さんって、あの少し大柄な人ですか?」
「そう、式柄(シキエ)さん……」
「美貴子さんとは仲が悪かったんですか?」
「美貴子さんは、人の悪口を言う人じゃ無かったですからね。だけど、あのお嫁さんとは気が合わ無いんじゃないかしら?……私は式柄さんとは殆どお付き合いは無いですけれどね。あの方、私どもには挨拶もしませんからね。何を考えているのかわからない人ですよ。気働きも無い感じでね。美貴子さんに対しても生意気で反抗的でしたよ。私達の時代には考えられない事ですよ。表面上は静かで大人しそうだけど、お腹の中は少し違う感じで……。庸雄ちゃんは知らないみたいだったけど、式柄さんはよく隠れてタバコを吸っていたわね。回覧板なんか届けにいくと、慌てて消して誤魔化していたけれど……。よく忌々しそうに舌打ちしたりしてね……。同世代のよそのお嫁さん達とは少し交流していたみたいだけど、美貴子さんの悪口なんかも言っていたみたいよ。何だか恐い人なんだと思うわ。美貴子さんも別居していて良かったわよ。何でもお一人で出来ていたんだから……それに、……あら、ちょっとご免なさい……」
 石野さんはそう言うと、買い物カゴを提げて来る二人連れの女性の所に駆け寄り何か伝えると、二人を連れて戻って来た。

「この方達ね、ご近所さんで小島さんと吉田さんです」
 石野さんが紹介してくれた二人は、小島さんは五十代半ば、吉田さんは四十代半ばくらいの主婦だった。ミオは石野さんに話した事を二人にもした。二人は、森山美貴子が亡くなっていた事に驚きの声をあげたが、小島さんは少し冷静に口を開いた。

「どおりで変だと思っていたのよ……。最初は『ご旅行かしら?』なんて、主人とも話してたんだけど。それにしては何だかお家の様子がおかしい気がしてね……。それで主人が変な事を言ってたのよ。『息子さん達が美貴子さんをどこかへやっちゃったんじゃないか』ってね」
「何か見たんですか?」
「いえね、お庭のお花がどんどん枯れていったからなの……。ほら、よく聞くじゃない。主の身に何かが起こると、その家の何かがメッセージとして他人に知らせるって……」
 小島さんの言葉に、石野さんも吉田さんも頷いている。
「……それでまた主人が『きっと何かある』って言うのよ。私はね『まさかドラマじゃあるまいし』って主人には言ったものの気になって、少し恐かったけど思いきって式柄さんに会った時に訊いてみたのよ。……そうしたら式柄さんはね、美貴子さんは『うっかりして階段から落ちて、足を骨折して入院した』って言うのよ!だけど、美貴子さんは注意深かい方だったから、ちょっと信じられなかったわよ。それで、恐い事がまだあって……ほら、同居されて無かったでしょ。だから、階段から落ちたらしいけど、誰もそこは直接見て無くて、階段の下に倒れていた美貴子さんを、式柄さんが発見したそうなの……落ちてから二日経っていたって言うのよ。……驚いたわ」
「まあ、随分恐ろしい話じゃない!」
 小島さんの話を聞いて石野さんが声をあげた。小島さんは頷くと、話を続けた。

「……それからなんだけれどね、間も無くまた雨戸が開いていたから、美貴子さんが戻っていらしたんだと思ってね。姿は見えなかったんだけど……。だからね、また式柄さんに訊いたのよ。そうしたら『その後、病院で手当てして一週間で普通に歩ける様になったのよ』って式柄さんは言ったの。……だけど、何だか色々おかしいのよね。それで主人に話したら『いくら美貴子さんが健脚だったからといって、骨折していたのなら、一週間やそこらで普通に歩ける様になるものか⁉』って訝ってね。……主人も美貴子さんの事が好きでね。挨拶も爽やかだったでしょ『気持ちの良い人だ。人柄って滲み出るものだからね』って尊敬していたのよ。姿勢がよくて、かくしゃくとしていらしたわよね」
「そうよねぇ」
 小島さんの話の小休止よろしく、石野さんがタイミングよく合いの手を入れる。それを確認して、小島さんがまた話を続けた。

「……それにね、『治った』って言うのに、その後もサッパリ美貴子さんの姿を見かけ無くて。晴れていても雨戸が閉まっている事もあったし、美貴子さんがいらっしゃれば、そんな事絶対に無い筈ですもの……。だから、また式柄さんに訊いたのよ。そうしたら今度は『足は完治したけれど、少し痴ほう症が出たから又、入院している。もう高齢だからね』って言ったのよ。式柄さんっていつも平然として言うのよ……」
「それはいつの事ですか?」
 ミオが訊ねた。
「去年の夏頃かしら……」
「じゃあ、その頃は入院されていたのね……。あら、でも、その後も雨戸が時々開いている時があったわよ。最近も!」
 石野さんが声をあげた。
『そうだ雨戸だ!』
 ミオが引っ掛かっていた違和感もこれだった。昨日は二階の雨戸が開いていたのだ。

「それじゃあ今、お家はどうなってしまっているのかしら⁉」
 石野さんが疑問の声をあげた。

「きっと、庸雄さんが便利に使っているんでしょ」
 誰も答えられない事だと思っていたが、吉田さんが半ば断定する様に答えた。
 吉田さんの息子、今は高校生になっている長男が、庸雄の息子のヨシキと小学校で同級生だったので、吉田さんはヨシキの子供時代を知っていた。
「ヨシキ君てね、こう言っちゃなんだけど、結構憎らしい事を言う子供だったのよ。救急車が通った時は『うちのオバアチャンも、もう直ぐアレに乗っていくんだよ』ってニヤニヤして言うのよ。面白い事を言っているつもりなのよ。それに、亜貴子さんや亜美ちゃんを馬鹿にした様な話をするのよ。自分の祖母や叔母、目上の従姉の事をあんな風に言うのはね、やんちゃ盛りとか子供の言う事だからって済まして良いのかしらって思ったわ。口が悪い子ってかわいく無いとかより怖いわよ。小さい時だから余計、息子にも影響したら嫌だなって思ったわ。
 そもそもね、あんな事を子供に言わせるのは親が悪いのよ」
「口が悪いのは庸雄ちゃんに似たのかしらねぇ」
 吉田さんの息継ぎの間に、石野さんが思いを述べた。

「それからね、『うちは家が二軒有るんだ』って学校で自慢していたんですって。どういう意味かと思ったら、美貴子さんのお家も自分の家だって意味だったのよ。あの家は本当は自分の父親の家で、美貴子さんは住まわせてやっているんだって事らしかったわ」
「まあ!何ですって⁉」
 吉田さんの話に、石野さんは驚きの声をあげたが、今度は相槌だけでは済まなかった。

「皆さんは、あのお家が建った頃の事は知らないでしょうけれど、あのお家は、美貴子さんのお父様が亡くなられて、美貴子さんに遺産が入って、それで建てたんですよ。ご主人の静雄さんは随分前に亡くなられていましたからね。あのお家は美貴子さんのモノですよ!義母が聞いたら呆れちゃいますよ!庸雄ちゃん……いえ、式柄さんもあの家を乗っ取りたかったのね!だから亜貴子ちゃん達も邪魔だったのよ!それで追い出したんだわ!美貴子さんは薄々感じていたんじゃないかしら!」

「だけど、息子さん達は自分のお家があるのに、何でそんなに美貴子さんのお家を欲しがるのかしら?……随分と強欲ね」
 小島さんがため息混じりに呟いた。

「あの家が必要なのよ……」
 誰も答えを知らないと思っていた疑問に、またもや吉田さんが答えた。
「ヨシキ君のお姉ちゃんいたでしょ……紀子ちゃん。4年前くらいに結婚したじゃない。それでそのお子さんがね……」
「あら、お子さんいたの?知らなかったわ!」
 吉田さんのはなしは終わっていなかったが、石野さんは思わず驚きの声をあげた。
「式柄さんって、秘密主義っぽいけど紀子ちゃんの事はいつも自慢していたのにね……。結婚も良い所の人に見初められたって、自分から言ってきたのに……」
 小島さんも初耳だった様だ。

「秘密にする理由もあるのよ……」
 吉田さんは二人が落ち着いたのを待って、話を続けた。
「……ついこの前の事だけど、うちの息子が偶然ヨシキ君に会ったんですって。それが、どこで会ったと思います?……息子は部活の地区大会の試合で、山手のテニスコートに出掛けてたの。その試合の帰り、カトリック教会の前で偶然ヨシキ君に会ったそうよ。息子は、ヨシキ君が教会から出てきた事にも驚いたけど、泣き腫らした目をしていた事にもっと驚いたらしいわ。もう学校も違うし、ずっと交流も無かったんだけど、無視できなくて『どうしたのか?』って、声をかけたそうなの。……実は、何でもね、紀子ちゃんのお子さんが男の子で今年3才になるんだけど、足が悪くて、鉄だかの機具を装着しないと歩けないそうなの。足の事は妊娠中にわかっていて、産婦人科の先生からは『産みますか?』って聞かれたそうよ。紀子ちゃんは『授かった命だから』と言って産んだんですって。ケンタ君って名前だそうだけど、保育園だか施設だかでは『ロボット』って他の子供達から呼ばれているんですって。ヨシキ君は子供の頃からお姉さん自慢してたから……お姉さんと甥っ子が不憫だって事で、どうやら教会に通ってお願いしているって事の様だったらしいわ。
 紀子ちゃんの嫁ぎ先の……関西の方だったかしら……ご主人の実家は『うちの家系に、こんな子供が産まれた事は無い。嫁の方の血筋じゃないのか?』って言って、こっちに調べに来た事もあったそうよ。ご主人の方はお姉さんが二人いて、三番目がご主人で長男になるそうだから、あちらの家にしてみたら跡取りの長男の息子、しかも初の内孫が体が不自由だという事で、相当ショックを受けたらしいわ」
「あ、それで、だったのね!」
 吉田さんの話を聞いて、石野さんが納得の声をあげた。

「確か2、3年前だったわよ……。家に、変な事を尋ねに来た人がいたのよ。『森山さんのお家に特別な病気をされた方はいらっしゃいませんか?』って。うちは古くからここにいるからね。私は美貴子さん達の事かと思って『そういった方は存じません』って返事したわよ。でもね後になって、義父が昔言っていた事を思い出したの。義父は、美貴子さんのご主人の静雄さんと、静雄さんの弟の豊雄さんとは幼馴染みでね。豊雄さんは、庸雄ちゃん達にしてみたら叔父さんよね……結婚後は静岡で暮らしていたんだけど、お兄さんの静雄さんが亡くなってから、美貴子さん達を気に掛けて、時折訪問されていてね。その後はうちにも必ず寄ってくれて、義父と遅くまで話をしていたわ。ある時、豊雄さんが『庸雄は長男なのに、病気の女性をお嫁さんに貰ってよかったのか?』って心配していたと、義父が言っていた事があったのよ。
 式柄さんは、持病が有るのを隠して結婚したらしくて、後で分かってそんな話になったらしいの。何の病気かは知りませんよ。でも、その病気を良くする為だか何だかで、式柄さんも式柄さんの兄姉も、名前が二つあるんですって。美貴子さんもさぞかし驚いたんじゃ無いかしら。私だって、そんな奇妙な話、聞いた事無いですもの。
 式柄さんが産んだ二番目のお子さん……ヨシキ君じゃないわよ。その前にオサム君っていう男の子がいたの。でも白血病で3才で亡くなっているのよ。
 義母が昔よく『式柄さんの肌は蒼白い。紀子ちゃんもオサム君も同じ肌をしている……母親に似ている』って言っていたわね」
「じゃあ、森山さんの家系に病気の気が無くても、お嫁さん……式柄さんの血筋の影響があるのかしら?」
 石野さんの話に小島さんが頷きながら言った。

「うちの息子が聞いた話だと、ケンタ君を産んでから紀子ちゃんは嫁ぎ先と上手くいって無いらしく、ケンタ君を連れてよくこっちに帰って来ているらしいのよ。それでどうやら自分のお家だけでは無く、美貴子さんのお家も使っているみたいよ。庸雄さんの部屋をケンタ君に使わせて、自分は美貴子さんの家を使いたいんじゃないかしら……」
「じゃあ、時々雨戸が開いていたのは、庸雄さんが使っていた日だったのね。美貴子さんが居たんじゃ無くて……」
 吉田さんの話に、小島さんは多少の怖さを感じた様に呟いた。
 
「庸雄ちゃんも、お孫さんの事は気の毒だわねぇ。だから産まれた事を隠していたのね……。まさか、美貴子さんにまで隠していたなんて事は無いわよね⁉……それにどうして、美貴子さんの事まで隠していたのかしらねぇ?」
 石野さんの言葉に皆が頷いた。
「……義母も美貴子さんの事をずっと気に掛けていたんだけど……でも、こんなショッキングな事を色々義母に知らせて大丈夫かしら?昨夜の事も気に掛けていたし……」
「昨夜の事?」
「ええ、昨夜だってあちらのお宅、大変だったのに……」
「何かあったんですか?」
 ミオが訊ねると、皆が重く頷いた。

「夜中に、パトカーが来る騒ぎがあったんですよ……」
 石野さんが声をひそめて言った。


      2


 深夜1時頃、大きなサイレンの音に石野光子(イシノ ミツコ)は目を覚ました。ここは閑静な住宅地である。穏やかな町で、光子が嫁いでからこの方、事件などとは無縁の場所だった。どこかで事件が起こっても、それはこの地域では無かった。パトカーや救急車の音も、数える程度に聞いた事はあるが、ここは通り過ぎる場所にすぎなかった。夜中にそんな音を聞いたとしても、うつらうつらしながら、通り過ぎていく音を確認するとそのまま寝入っていた。だが、今回の音は違った。サイレンと数台の車の音は、家の直ぐ近くで止んだのだ。光子は半分催眠状態にあったのが、一気に覚醒した。頭も目も体も覚めて、布団から飛び起きた。
『まだそこにいる……』
 光子は窓を開けずとも、気配で外の様子を伺い得た。こちらが覗いている事を向こうに気付かれぬ様、電気を点けず窓越しに外を見ると、数台のパトカーと1台の救急車が森山美貴子の家の前で停まっていた。
 美貴子に懇意にしてもらっていた光子は、この半年、美貴子の姿を見ておらず心配していた。『何かあったのだろうか?』光子の鼓動が早鐘のようになった。
 光子は直ぐさま駆けつけたかったが、近所の手前そんな事をするのは憚られ、しかも寝間着姿である事で思い止まった。
 
 光子は自室を出ると、孫の肇(ハジメ)の部屋の扉を小さくノックした。義母や息子夫婦には気付かれたく無い。中学生の肇は深夜でも、起きている筈である。夜更かしの目的は勉強では無く、ラジオの深夜放送であろう。遊んでいるのなら、こんな時こそ役に立ってもらいたい。
 肇は直ぐに顔を出した。やはりサイレンが気になっていたようだが、夜中に外に出て、親に怒られても面倒だと思っていたらしい。

「未だ寝間着に着替えて無かったの?お風呂は入ったの?」
「これで寝てるんだけど……」
 光子は、イマドキの若者達の服装にイマイチ理解が出来なかった。運動着みたいな格好で、よく眠れるものだと思う。ただ、こんな時は都合が良い。光子は肇に外の様子を見に行かせた。肇も、祖母からのお達しとなれば親も文句を言うまいと、勇んで出て行った。

 肇がサンダルをつっかけて外に出た時、救急隊員が美貴子の家から担架を運び出すところだった。肇はてっきり、美貴子の身に何か有ったのかと思っていた。しかし、担架に乗っていたのは、息子の庸雄だった事に驚いた。
『何で、おばあさんの家からおじさんが出てきたんだろう?おじさんの家は隣じゃないのか?親の家に息子がいてもおかしくは無いけれど。じゃあ、おばあさんはどうしたんだろう?一緒じゃないのか?ふつう、付き添うとか、顔を出すとかしないのか?』
 肇がそんな事を思っていると、担架のもとにやって来たスーツ姿の中年男性と庸雄が、なにやら揉め出した。

「自分の不注意で階段から落ちただけだ。警察なんか呼んで無いんだから、帰ってくれ!」
 庸雄は食って掛かっていた。スーツの男性はどうやら警察の人らしい。
「いやー。我々もね、何事も無ければ直ぐに帰りますけれど、何せ連絡を貰ったものですからね……」
 警察も直ぐには引き下がらないでいる。

 救急隊員が無線で病院と連絡を取っている会話や、パトカーに寄りかかった警官達のやり取りを聞いていると、どうやら庸雄は階段から落ちて足を痛めた様だ。足を捻った程度かもしれないが、救急隊員は念の為にレントゲンを撮ることや脳波の検査を勧めている。庸雄は、今は意識もしっかりしており警察の聴取にも答えているが、救急車が駆けつけた直後は軽い脳震盪を起こしていたそうだ。110番には若い女性の声で「この家で人殺しがあった」という通報が有ったそうだ。

「あなたも家族も通報して無いんでしょ?じゃあ、誰が通報したの?ここの電話から通報された事は逆探知出来ているんですよ。……貴方、本当はどうやって落ちたの?」
 スーツの男性は庸雄を諭す様に話した。
 パトカーと救急車が駆けつけた時、庸雄は階段の下で倒れていた。電話は離れたところにある為、階段から落ちて自分で電話をかけに行き、また戻って倒れる……なんていう事をするのは不自然だ。しかも、通報したのが女性の声だ……。
 だが、庸雄は「一人だった!自分で足を滑らせたんだ!」と言い張るだけだった。
 庸雄とスーツの男性の加熱した問答が続き、遂に救急隊員が「先ずは病院に運びます」と、その場を収束させた。救急隊員の、誰か家族の付き添いはいないのかという問いに対し「この家には誰もいない!わしだけだ!」と、庸雄が顔を紅潮させて答えた。
 救急隊員も警察も、隣の家が本当の庸雄の家だとは知らない様だ。「じゃあ、一人で大丈夫ですか?」という救急隊員の声に庸雄は頷き、救急車に乗せられて行った。
「逃げたな……」
 スーツの男が呟いた。

 肇は、庸雄の本当の家は隣である事を警察に教えた方が良いのじゃないかと、一瞬頭をよぎった。でも、わざわざ自分から言う必要も無いかもしれないとも思った。それで、『もし、聞かれたら答えよう』と、決めた。
 大事件という事でも無かったので、野次馬も徐々にいなくなっていた。警察は未だ引き揚げそうにも無かった。美貴子の家を捜査している様だ。
「きみ、何か気付いた事無い?」
 急に背後から声をかけられ、肇は飛び上がらんばかりに驚いた。いつの間に後ろに回られていたのか、庸雄と揉めていたスーツの男性が立っていた。
「……特には。サイレンの音で気が付いて、様子を見に来ただけです」
「近くの家の方?」
「斜向かいの石野です」
 肇は、思わず名字まで口走った事を後悔した。
『名前や家までべらべら喋ったって、親に叱られるかな……』
「このお宅とは知り合いなの?」
「まあ……。名前と顔くらいは……」
「じゃあ、さっきの男の人の事も知ってるの?」
「はい」
「男の人の家族は、お留守なのかな?」
「どうですかね……。隣の家に直接聞いてみてください。そこが森山のおじさん家ですから」
 肇の言葉に一瞬、スーツの男性が固まった様に見えた。
「こんな遅くに悪かったね。ありがとう。気を付けてね」
 そう言ってスーツの男性は、肇に帰宅を促してきた。肇は去り難かった。暇人の野次馬も未だ少し残っている。庸雄の家族が出て来ないのが不思議だった。今は静寂が戻っているが、隣の家にいて、さっきのサイレンに気付かないでいるだろうか?留守かもしれない。それとも祖母同様、寝間着姿だから出るに出られないとかなのか?

 スーツの男性と制服姿の若い警官が、庸雄の家の呼び鈴を鳴らし続けたり、玄関の扉を何度もノックをしたり、小声だが声をかけ続けたりした。数分後、玄関の灯りが点き、扉が細く開いた。肇は出来る限り近付いた。庸雄の妻の式柄が顔を覗かせているのが見えた。警察とのやり取りも聞こえた。
「夜分すみません。お休みでしたか?」
「はい。ぐっすり眠ってしまっていました」
 式柄は、隣家で夫の庸雄が怪我をして病院に運ばれた事を告げられても、やはり『気付かなかった』という答えをした。
「そうですか……。それにしても、こんなに明るい月夜も珍しい。きっと目撃者がいる筈です。直ぐに真相も分かるでしょう。とりあえずは奥さん、これからご主人が運ばれた病院に行かれますよね?よろしければ車で送りますよ」
 慌てる様子の無い式柄に、スーツの男が誘い水を向けた。式柄は一旦家に引っ込んだが、数分で戻って来た。そしてパトカーではなく、スーツの男が運転する黒い車に乗って行った。それを合図に、肇も他の野次馬もきれいに掃けていった。

『ゼッタイ嘘だ』
 肇は早足で戻りながら思った。
『寝間着じゃ無かったし、薄化粧だってしてたんじゃないのかアレ!サイレンに気付かないなんて、おかしいじゃないか!』

  肇が家に戻ると、祖母の光子が待ち構えていた。お疲れ様と言って、コーラを出してくれたが、口をつける前に話をせがまれた。肇の話を聞き終えた光子は、自室の窓から外を覗いた。
 美貴子の家の前に制服姿の警官が立っていた。事件という事では無くても、何時間かは警備をするのかもしれない。
『あんな風に警官がいるのは嫌だけど、ある意味、安心出来るのかもしれない』
 光子はそう考えて床についた。
 明け方近くに光子は目を覚ました。朝の空気が澄んでいる為か、車のドアが閉まる様な音が聞こえた。窓から眺めると、タクシーが走り去って行くのと、庸雄と式柄が美貴子の家の庭木戸から庭に入って行くのが見えた。もう、警官の姿は無かった。

      *

『階段から落ちたなんて、なんだか因縁を感じる……』
 石野さんから昨夜の出来事を聞いたミオは、これには何か関係が有るに違いないと思った。単なる偶然の事故とは思えなかった。

 そこへ、スーツ姿の中年男性が、立ち話の輪に近づいて来た。
 見知らぬ男性であるが、不思議と警戒心を抱かせなかった。
「ご近所の方達ですか?」
 男性は皆に見える様に警察手帳を掲げた。
「最近、この付近の事で何か気がついた事は有りませんか?」
 落ち着いた穏やかな声だったが、刑事だったという事で、ミオも奥様達も緊張し始めた。
「……特には……」
 ご近所の奥様達は、互いに顔を見合わせて小さな声で答えた。先程のお喋りは何処へやら、皆一様に押し黙ってしまった。何だか急に守りに入ったみたいだ。事なかれ主義となった奥様達に、ミオは落胆を覚えた。皆さっきまで、美貴子の事を気に掛けていたではないか……。何か疑問があったのでは無かったのか?それを伝えなくて良いのか?

「あの、あの家の主であった婦人が亡くなられています」
 ミオは森山美貴子の家を指差し、勇気を出して言った。
「ほう、それはいつですか?」
 男性は先程同様、落ち着いた口調ではあったが、どこか刑事らしい鋭い雰囲気を出して訪ねてきた。
「去年の11月29日だそうです」
「事故か何かで?」
「いえ、事故では無く、入院していた病院で亡くなったんです!院長が階段から落ちて亡くなったという、あの橋田病院です!それに、入院する3ヶ月前に自宅の階段から落ちて足を怪我していたそうです!……昨夜もあのお宅で、階段から落ちる事故があったそうですね……」
 ミオは刑事の反応を窺っていたが、ポーカーフェイスでメモを取っているだけだったので、どんな風に考えているのかは読み取れなかった。自分の思い過ごしだったのだろうか?何だか物足りない反応だ。ミオは更なる説明を加えた。
「庭の植物がどんどん枯れてったんです!主の美貴子さんが入院した頃からみたいです!」
「……入院した頃からというと、お庭の手入れをする人がいなくなったっていう事かな?」
 刑事の言葉は正論で、ミオは自分が空回りしている事に焦りを感じた。橋田病院の件も、昨日の騒ぎも……森山美貴子の不可解な入院の経緯と死亡も……これらの全てが何の事件性も無い事だと言うのだろうか⁉もっと、気に掛けてもらわなければ……。もっと何かなかっただろうか?

「あっ、そうだ!それから、裏庭のミニバラが無くなっています!昨日もここを通りましたけど、昨日の朝は確かに未だありました!手入れされずに枯れたのでは無く、人が切らなければあんな風にはなりません!庭の持ち主の美貴子さんは亡くなっているのだから、切ることは出来ないですよね!」
 刑事はミオの話に頷いていたが何も答えず、丁寧に礼を述べると立ち去って行った。


      3


 ミオはご近所の奥様方に別れを告げ、その足で南夫妻のマンションを訪れた。昨夜の森山家の出来事を夫妻に伝えた方が良い気がしたからだ。
「突然おじゃまして、すみません」
「そんな事気にしないで。気軽にいつでも来てちょうだい。さあ、さあ、上がって」
 ミオは家へ上がる時、油絵が飾られている玄関の下駄箱の上に、昨日訪れた時には無かった物が目に入った。未だ花をつけていなかったが、ミオにはそれが何の植物か分かった。赤いガラスの花瓶に、小さな緑の葉をつけたミニバラの枝が何本も活けられていた。
 リビングに通された時、カーテンの開いた窓から、ベランダに置かれたプランターが見えた。そしてそこにも何本ものミニバラの枝が挿し木されていた。
『さっき自分は、何か余計な事を刑事に言ったのではないだろうか?』
 ミオは焦った……。しかしバラなんてどこにでもある。コレが美貴子の庭にあったバラだとはいえない……。

「あー、ミオちゃん。良く来てくれましたね。グッドタイミングです」
 そう言って義孝は、大皿に山盛りにしたデニッシュを運んできて、テーブルに置いた。
「わぁ、こんなにたくさん!」
「……実は今日、家内とモトマチに散歩に行きましてね。喜久屋でお昼を食べた後に、ポンパドールでパンを買ったんです。ミートパイだのチョコレート何とかだのたくさん種類があって、私達だけでは食べられないのに、目が食べたくてね……これだけ買っちゃったんですよ。ミオちゃん、協力してくださいね」
 確かに、二人では食べ切れない量だ。だけどミオにしても、一度に食べられるのは二つか、せいぜい三つだ。

 食べるペースが落ちてきたミオに、「若い方がだらしのない。遠慮だったら無用ですよ。若い時は何時だってお腹が空いている筈ですよ」と義孝は真顔で言った。体育会系男子に檄を飛ばす様な事を言うものだと思いながら、楽しそうにしている義孝にミオは目をやった。……がっかりさせられないなと思った。デニッシュの事では無い。今日は、昨夜の森山家の騒ぎを伝えようと思って来たのだが、果たして南夫妻の為になるのだろうかということだ。もしかしたら、かえって思い煩わせる事になるのではないか?知らせなければ、夫妻はこのままいつまでも、こんな風に朗らかな気持ちでいられるだろう。ミオは思慮の浅かった事を悔やんだが、自ら出向いておきながら、何の用向きも土産話も無いと言うのもいくらなんでも筋が無い。ミオは、義孝から3回目のお茶のお代わりを勧められた時に、訪問した理由を伝えた。

      *

 昨夜の森山家の騒ぎの話を聞き、南夫妻は驚いた様子で互いに顔を見合せていた。明らかに動揺している。
「何時頃の事ですか?」
 義孝が、少し考えた様に訊ねた。
「深夜1時頃だそうです」
「私達はそんな遅くにはねぇ……」
 少しの間があったが、富士子が義孝の顔を見て、怪訝そうな表情で答えた。何ともおかしな言葉だ。
「……あ、いえ、違うんです!」
 ミオは夫妻の言葉の意味が分かった。二人は勘違いしている。
「私はお二人を疑っている訳じゃ無いんです。ただ、美貴子さんと何か関係が有る様な気がして、お二人が何かご存じなんじゃないかと思って……」
 ミオの言葉に嘘は無かった。しかし、ミニバラの事が引っ掛かっているのも確かだった。
「わかっているわ。ミオちゃんは心配してくれているんでしょ?」
富士子が優しく言った。
「知らせてくれて、ありがとう」
義孝が礼を言った。

「でも、全ては偶然の事故かも知れません。ただ、さっきも刑事さんが色々聞き込みしていたので、まだ何か事件絡みなのかなとも思って。なにせ、謎の通報者がいるので……」
「通報者?」
「はい。若い女性の……」
若い女性……」
 夫妻は又、互いの顔を見合わせた。
 その時、玄関のベルが鳴った。
「私が出ます」
 ミオが申し出て、立ち上がった。

 ドアを開けると、そこにはスーツ姿の中年男性が立っていた。ミオがさっき話をした刑事だった。
「おや、先程のお嬢さんでしたか……。南さんのご主人はご在宅でしょうか?」
 ミオに気付いた刑事は、やはり表情を崩さず、事務的に言った。そして素早く部屋の奥に眼をやり、また玄関の花瓶にも眼を向けた。
「少々お待ちください」
 ミオは夫妻のもとに戻ると、刑事が来た事を伝えた。義孝はゆっくりと立ち上がると、玄関へ向かった。

「はい。私がここの主人ですが……」
 刑事は義孝に警察手帳を見せた。
「森山庸雄さんをご存知ですか?」
「はい」
「昨夜、怪我をされまして……」刑事が話し始めると、「私が突き落としました」と義孝がハッキリした口調で言った。「それから、橋田病院の院長も私がやりました」
 その言葉にミオも驚いたが、刑事も驚いた様だ。ポーカーフェイスが少し歪んだ。
「先ずはゆっくりお話を伺いますので、とりあえず警察まで御同行頂けますか?」
 義孝は頷き、刑事と共に出ていった。
「そんな……」
 ミオは呆然と立ちすくんでしまった。一体、急に何が起こったんだろう?義孝の言葉は本当なのだろうか?富士子を見ると、落ち着いた態度で夫の後ろ姿を見据えている。どうしてそんなに冷静でいられるのか分からず、ミオは叫んだ。
「義孝さん!」
 義孝は振り返ると、黙って深く頭を下げた。
 ミオは見送るしかなかった。



      4


 南義孝が鋏と新聞紙を鞄に詰めて森山家へ行ったのは、昨夜の9時頃だった。訪問するには遅い時間であることは承知しているが、相手にとっても自分にとっても、都合が良い時間だと思われた。
 義孝は、庸雄と一度しっかり話をしたいと思っていた。お節介だと言われようが、このまま見過ごす事は出来なかった。美貴子は姉も同然だった。元気だった美貴子に一体何が起こったのか、真実を知りたかった。いつまでも待っていられない。妻の富士子が何度訪れても足蹴にされていたし、今回が最後だと思っていた。

「庸雄ちゃん……」
 義孝は表玄関からでは無く、灯りの点いている森山美貴子の家の勝手口から声をかけた。
 庸雄は義孝の姿を見ると、驚きと怒りの混ざった形相で露骨に迷惑そうな態度をとった。しかし、義孝の粘りに負けたのか、近隣に気付かれる事を避けたかったのか、渋々ではあったが義孝を家に上がらせた。義孝は廊下を通った際、重そうな機具が隅に置いてあるのを目にした。庸雄は、義孝がそれを見つけたのを感じ取り、忌々しそうな顔をした。
 通された部屋には、美貴子が愛用していた家具がそのまま残されていた。

 義孝は庸雄に、妻と共に橋田病院へ出掛けて、病院の実状を見てきた事を伝えた。自分の母親が酷い仕打ちをされていたと知れば、さぞかし庸雄も憤慨するだろうと思っていたが、結果は違っていた。
「……それじゃあ庸雄ちゃんは、あそこがどんな所か分かっていて美貴子さんを入院させたのかい?」
 義孝の質問に庸雄は、それがどうしたといった感じで顎を突き出した。
「亜貴子ちゃんと亜美ちゃんをここから追い出して、美貴子さんを独占できたんじゃないのかい?それとも、この家が欲しいだけだったのかい?」
「あんたらには関係無い!もう二度と来んでくれ!今度来たら警察を呼ぶからな!」
「……じゃあ最後に、庭のあのバラを少し分けてくれないか?あれは正真正銘、美貴子さんと亜貴子ちゃん、亜美ちゃんの物の筈だよ」
 庸雄の恫喝に半ば呆れた義孝は、最後だと思い、頼んだ。どうせ庸雄達は、あのバラに思い入れなど無い筈だ。美貴子への想いも、美貴子が持つ記憶も、庸雄達には忌々しく邪魔なだけだろうと思った。
 しかし庸雄は「全部わしの物だ」とフンと鼻を鳴らした。
「何だって⁉そうやって美貴子さんの物を何でも奪い取って、自分の物にしたいのか!この親不孝者!」
 義孝は怒りで体を震わせ、こぶしを握った……。

      *

「おじちゃん……」
 庸雄が、その若い女性の声を聞いたのは、義孝が帰ってから大分後の事だった。

*******第六章 に つづく********

第五章、お読みいただきありがとうございます。

遂に真相が明らかになる第六章も、お読み頂ければ幸いです。

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