小説 [フーガ 遁走曲 / 白薔薇婦人が愛した庭 ] なつのまひる 著

1980年代のヨコハマを舞台に繰り広げられる物語

第七章 アヴェ・マリア

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 義孝の葬儀から一週間後、ミオは富士子から電話を受けた。バラを見に行こうという誘いだった。富士子は気丈に振る舞っているが、夫を亡くした空虚感や寂しさは、何時ともなく湧き上がるものだろう。外出して気分を紛らす事は良いことだ。それに、好きな花を見れば多少は心が慰められるに違いない。ミオは快く返事をした。

 そういえば以前、富士子が山下公園オールドローズ展のチラシを見せてくれた。今はバラのベストシーズンだ。さぞかし綺麗な事だろう。

 しかし、富士子が待ち合わせに指定したのは別の場所だった。


      2


 ミオが山手の教会に着くと、先に到着していた富士子から声を掛けられた。

「早めに着いたので、さっき久しぶりにおミサに出てみました。以前とは色々変わって……神父樣も代替わりされていましたが、あそこは変わっていませんでした……」
 そう言って富士子は、ミオを教会の裏にある庭へと誘った。

      *

 教会の庭では、新緑の草木が五月の日差しに照らされ、生き生きとした葉を眩しく輝かせていた。庭の奥に白いマリア像が建っており、像の下の花壇には更に白い大輪のバラが咲いていた。このバラこそまさに、ミオが富士子を最初に見た時にイメージしたものだった。
 バラは真っ白で清らかで、こちらに邪心があったなら、近づけない威厳があった。

 そのバラを見つめている富士子の横顔は美しかった。悲しみに暮れている未亡人という様子は一切無かった。真っ直ぐな眼差しは満足気でもあった。

 ミオはふと、以前から抱いていた疑問を思い出した。多少のためらいはあったが、確かめたい気持ちが強かった。このまま気付かぬ振りをして、真実をうやむやにしてしまう事に対する罪悪感もある。
 それに、富士子が自分を呼び出したのは、単にバラが見たかったからだけだろうか?

「……富士子さん。もしかしたら美貴子さんのお孫さんの亜美さんは、来日していたんじゃないですか?」
 ミオは思いきって尋ねた。
「……それで、森山庸雄さんが階段から落ちた時に警察に電話をした若い女性というのは、亜美さんだったんじゃないでしょうか?そして、その事は、富士子さんも義孝さんもご存知だったんじゃないですか?」
 言葉にしてしまってから、ミオは初めてその重大さに気付き、怖さを感じた。真実を知って、それで自分はどうしたら良いのだろうか……。

「それを知って、何になりましょう……」
 富士子は微笑んで答えていたが、ミオは一瞬たじろいだ。
 富士子はとっくにミオの疑念に気が付いていた様だ。それで、ミオがどう出るのかを、今、確かめたいのだ。

 白バラは、単に無垢で清らかなだけでは無い。『これを何にも汚させはしない』といった強さ、気高さを持っている。そして今の富士子の瞳にも、『大切な護るべきもの、それには決して触れさせない』という、棘を持った白バラの迫力がある。
 ミオの抱いている疑念の真相が、富士子から明かされる事は決して無いだろう。
 それで良いとミオは思った。真実を知ったとしても、ミオもそれをどうするつもりもない。
 
 だから、富士子や義孝に罪が有るのなら、自分も同じなのだ。

『富士子が真実を明かさ無いのは、自分に重荷を背負わせない為の配慮でもあるのかもしれない。そうする事で富士子は、自分の事も守ってくれているのかもしれない』とミオは思った。
 富士子はミオの気持ちを気取ったのか、「私が花を好きなのは、美しいからでもあるけれど、『花は咲く事だけを考えている』……そんな風に感じるからなんです」と言った。

 富士子も今、前だけを見ている。

「そうだ、ミオちゃん。家のミニバラが咲いたんですよ」



 ミオは仰いだ。

 ああ…………。
 
 空は真っ青で、何の罪も無かった。



******* 了 ********

小説
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