小説 [フーガ 遁走曲 / 白薔薇婦人が愛した庭 ] なつのまひる 著

1980年代のヨコハマを舞台に繰り広げられる物語

第四章 3つのジムノペディ

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      1


 橋田智也(ハシダ トモヤ)はいつもの様に、苦悩の表情を浮かべていた。
「親父の分からず屋め!二言目にはカネ、カネだ!」
「今夜はまた随分おかんむりですね。お坊っちゃま」
 そう言ってバーテンダーはグラスをスーっと智也の前に置いた。
「タカさんったら、その『お坊っちゃま』はやめてよ」
「でも、お父様にはよく御来店頂いてたものですから……。未だ智也さんがお小さい頃、一度一緒にいらして下さって、クリームソーダを飲みながら『大きくなったらお父さんみたいにお医者様になるんだ』っておっしゃっていたのが昨日の事の様です……」
「もう、タカさん。またその話。やめてよね」
「大人になってからも、ここを覚えていて、ごひいきにして頂いて嬉しい限りです。……お父様はお変わり無いですか?」
「フンッ。あんなヤツ、死のうが、どうなろうが、知ったこっちゃ無いよ……。ここにも全然来ないだろ?タカさんには悪いけどさ、あいつは女のいる店じゃなきゃ興味無いんだよ。元々、酒の味なんか分かるヤツじゃ無いんだよ。気持ちの悪いクソエロジジイだ!」
「智也さんはツウですからね……。そういうお客様は嬉しいですよ」
「やだな、タカさんったら。おだてても何も出ないよ。オレは金が無いからね……」
「又、何か買い物されたんですか?今日の時計、素敵ですね。この前されていたのとは別の物ですよね……」
「限定品だっていうんで、ちょっと衝動買いしちゃったよ。でもまぁ、悪く無いでしょ?」
「智也さんはセンスがありますね。でも、お安い物には見えないですよ。……お小遣い、相当使われたんじゃないですか?」
「説教じみた話は止めてよ、タカさん!さっきも親父に散々言われてきたんだから」
「病院の後継についてですか?若先生」
「後継ぎの話なんてあるもんか!親父のヤツ、開口一番『まだそんな子供みたいなチャラチャラした格好しているのか!金の使い道の知らない奴だ!くだらない物にばかり金を使って!』って言ってきやがったよ。オレも病院を手伝えれば、買い物なんかに時間も金も使わないって言ったんだけど、端から聞く耳なんか持っちゃいないんだよ。『お前を雇う事ほど無駄な事は無い。金をドブに捨てる様なもんだ』だとよ!」
「……開業のお話はどうされましたか?」
「どうもこうも無いよ。開業すれば、今みたいな勤務医の給料とは比べ物にならないくらい稼げるんだから、初期投資と思って開業資金ぐらい援助すりゃあ良いものを……。何度頭を下げて頼んでも『お前に金は稼げない。お前には無理だ』って、せせら笑って言いやがった!」
「少し経験を積まれることを待っていらっしゃるんでしょうかね……?」
「そんな気持ち、ありゃしねえよ!ただ見下してんだよ!バカにしやがって!」
「そうなんでしょうかねぇ……。だけど、病院はお父様が御一人でお創りになったものですから、いずれはどうしたって智也さんがお継ぎにならない訳にはいかないでしょう?」
「あのケチな親父のことだ、病院を他人に渡すなんて事は惜しくて出来ないだろうな。自分の体が動かなくなった頃にオレの鼻先に跡目をチラつかせて、タダ働きでもさせるつもりだろう。フンッ。そうは問屋がおろさねえってんだよ!オレの物になったら、あんな病院、スグに売っ払ってやるよ!」
「じゃあ、そのお金を資金にして、歯科医院を開業出来ますね」
「冗談じゃねぇ~よ~。タカさん。歯医者なんて好きでやってるわけないじゃん。医大だって、親父の御機嫌取りで行ってやったんだ。病院売って金を手に入れたら、仕事なんか辞めてやるよ。……そうしたらお袋の面倒が看られるな」
「お母様の御容態はまだ……」
「生まれつきの心臓の事だからね……。親父なんかと一緒になったせいで余計、心労が続いたんだ!親父のヤツ、お袋が体が弱いのを良いことに、好き勝手しやがって!今じゃお袋に顔も見せやしない……いや、あんなヤツの顔を見たら余計、お袋の具合が悪くなるかもな」
「智也さんも気苦労が絶えませんね……」
「オレは大丈夫だよ。……だけどお袋の事を思うとね。……チキショウ!あのバカ親父!どこかから思いきり、突き飛ばしてやりてぇよ!」
「智也さん、そういう言い方は誤解を招きますよ……。人目も気にした方が良いですよ……」

      *

 智也が二日酔いの頭でベッドから起きたのは、昼近くになっていた。
『少し飲み過ぎたかな……。昨日の嫌な気分がまだ抜けない』
 智也は水道の蛇口をひねると、流れ落ちる水をそのまま口で受け止めた。
 
 インターホンが鳴った。
『休みだっていうのに誰だよ……』

「セールスなら間に合ってますよ」
 智也は部屋から動かず、ドアに向かって大声で答えた。
 
 だが、再度インターホンは鳴った。
「すみません。警察です。開けて頂けませんか?少しお尋ねしたい事がありまして……」
 周囲に配慮してか、声量は抑えていたが低く聞き取りやすいハッキリした声だった。
「橋田智也さんですね。突然すみません。今日はお仕事、お休みでしたか?」
「ええ、まぁ……」
「橋田病院の橋田院長は、あなたのお父様ですね?」
「はい。そうですが……」
「お父様が亡くなられた事、ご存知でしたか?」
「えっ?」
「失礼ですが、智也さん。昨夜7時から今朝7時迄、どちらにいらっしゃいましたか?」


      2


 早坂真知子(ハヤサカ マチコ)は夜勤明け、家でひと寝入りした後に買い物に出るのが最近の楽しみになっていた。職場では出来ない濃い化粧で、髪を下ろして香水をつけた。宝飾品も目一杯着けなければ出掛けられなかった。いつもとは違う自分に成るまで……いや、そうじゃ無い。本当の自分に成る為にだ。

      *

「まぁ、早坂さま!いらっしゃいませぇ」
 真知子の姿を見つけると、ブティックの店員は直ぐさま真知子のもとへ駆け寄って来た。
「まぁ、早坂さま!さっそく、先日ご購入頂いた春物のワンピースをお召し頂いたんですね。ありがとうございます。やっぱり早坂さまにはこの色がお似合いですわ~。まぁ、早坂さま!パンプスの色がワンピースとピッタリじゃないですか!さすがですぅ~」
 店員のおべっかだとは分かっていても、真知子にとって褒めそやされるのは気分が良かった。だから、こんな風に買い物が止まらないのだ。買っている物は、さして必要な物では無い。家には似たような服が山ほどある。買っただけで、袋すら開けず部屋の隅に放置された物も幾つもある。
「早坂さま、今日はどの様な物をお探しですか?」
「そうね……スカーフでも頂こうかしら?」
「左様でございますか。丁度、新作が入荷したばかりなんですよ。素材は高級シルクで、肌触りは格別ですよ」
「そう……ま、悪くは無いわね」
 真知子は目に付くように腕を伸ばした。
「まぁ!」
 直ぐさま店員は反応した。
「早坂さま!そちらの時計、あのイタリアの高級ブランドの物じゃございませんか?すご~い!ダイヤだらけで時間が分からないほどですわ~。そちらのバングルも有名ブランドの限定品ですよね。日本には1、2点しか入って来なかったお品物ですよね。羨ましいですぅ~」
「あら、気付いた?イヤだわ。見せびらかしている訳でも無いのに……目が速いのね」
「いいえ~。早坂さまは華やかな方ですから、パッと人目を惹いてしまうんですよぉ~。指輪もとても大きな石ですけれど早坂さまには丁度良いサイズですし、ネックレスもイヤリングも豪華な物をさらりと身に着けてらして、お洒落上級者ですわ~。早坂さまは、高級品がお似合いになる方なんですよ~」
「そうかしら~」
 真知子は、あと何点か買っても良いかなと思った。
「店の皆で、早坂さまって、どんなお仕事されている方なのかしらって、噂のマトだったんですよ~」
 店員の言葉を聞いて、真知子はギクリとした。
「まぁ。見た目でわかるのかしら……?」
「そりゃあもう、私どもは大勢のお客様を見ていますもの~。それで、やっぱり有閑マダムなんじゃないかって事で落ち着いたんですよ。どうです?当たってるんじゃないですか?ご主人はきっと、社長さんとかお医者様とか、重役タイプでロマンスグレーの渋味のある方なんじゃないかしら~って想像しているんですよ~」
「あら、夫がそんなにオジサンじゃあ、私も随分オバサンに思われているのね」
「とんでも無いです!早坂さまは品がおありなので、やはりお相手も相当のエグゼクティブな方だろうと思ってですよぉ~。それに、今つけていらっしゃるその口紅、フランスのあの高級ブランドの新作のお色ですよね。よくお似合いですよ~。そのお色は、早坂さまの様に大人の女性でなければ、品良くなりませんわ。若い娘はエレガンスさに欠けますもの……」
「そうかしら、オッホッホッホッホ……」
 真知子は満足して笑った。
 
「……こちらのスカーフは、お包みいたしますか?」
「そうねぇ~。今日は少し肌寒いから、いま使うわ」

 店を出る時、店長始め店員が勢揃いして真知子を見送った。

 真知子は歩きながら、ショーウインドウに映った自分の姿を確かめた。買ったばかりのスカーフの具合を見たわけじゃない。自分の充実した顔を見る為だ。

 買い物のあとは、大桟橋近くにある老舗の高級レストランで休憩を取るのが、真知子のお決まりのコースだった。そしていつもワガママ勝手にスペシャルな注文をする。ここはどんな注文にも応じてくれる。チャージ料は驚くほど高いけれど、女王になれるのだ。

『これで良い……。この為なら、お金なんか幾ら使ったって良いのよ……。好きなだけ使ってやるわ。あれは、私のお金でもあるんだから……』

      *

 院長との付き合いは、真知子が未だほんの駆け出しナースの頃からだった。院長は当事、大病院に勤務する野心ある若きドクターだった。既に妻帯者であったが、平然と真知子に粉をかけてきた。初心な真知子には、強引さも情熱に感じ、無情さも魅力的に思えていた。だから、院長に全てを与えてしまったのだ。「いまに開業する。そうしたら院長婦人にしてやる」なんていう甘い言葉に騙され続けた。
 院長自身は勤務医から独立開業し、早々に院長になった。しかし、何年経っても妻とは離婚しなかった。そのうち妻は妊娠して子供を産んだ。「いつか別れる」「子供が幼い内は我慢してくれ」「妻はもう永くはないから」等と理由を言ってくるばかりで、未だに妻とは別れていない。院長は妻子が大切な訳では無かった。あくまでも世間体を気にして、「幼い子供を不幸にした」とか「病床の妻を見捨てた」という事で、悪評を避けたいだけだった。それは真知子に対しても同様だった。真知子は不毛な関係に疲れ、幾度か別れ話を持ちかけた。しかし院長は真知子を手放さなかった。真知子は、院長がもうとっくに、自分への愛情など無くなっている事に気づいていた。

『自分の実力なら、大病院の総婦長にだって成れていた筈だ。それだけじゃない。あんな男に係わらなければ、結婚して子供もいて……院長婦人にだってなっていたかもしれない。若い頃は、誠実なドクターからの交際の申し込みも、一度ならずあったのに……』
 真知子に悔恨の思いが湧いた。

 橋田病院は、真知子の内助の働きがあったからこそ開業できたのだ。真知子が働いて蓄えたお金も、全て開業資金にまわした。開業後の運営も真知子が経理にも携わり、ここまで大きくしてきたのだ。お金だけでは無い。多くを犠牲にして院長に尽くした。堕胎までしたのに……。

 院長は今、若いナースと浮気をしている。最近、シャネルの腕時計を買ってやった事も知っている。真知子が問い質しても、院長はあくまでも惚けるに徹する。誤魔化し切れると、人を侮っているのだ。こんな事も一度や二度じゃ無いが最近は、はばかる事も無く、若い女のお尻を追いかけている。真知子が詰め寄ると「オマエを蔑ろにしたわけじゃないんだ。若いナースにせがまれてね。どうしてもってきかないんだよ。若い娘は何を仕出かすか分からないからね。だから仕方無く買ってやったんだよ。オマエとワタシの関係にも薄々気付いていて、ゆする様な事も言ってきたんだよ。口外されたら困るのはワタシ達じゃないか。オマエは美人で聡明なイイ女だ。わかってくれるね。ワタシにはオマエが居なくちゃダメな事は知っているだろう。愛してるよ……。悪く思わないでくれ……」こんな時、院長は饒舌だ。
『フンッ。バカなオトコ!いつまでもそんな事が通用するとでも思っているのか……』
 真知子は腹いせに、病院の運用資金のプール金を使い込んでいた。『誰にも文句を言われる筋合いは無い。これは自分のお金だ』と真知子は思っている。
 院長は開業時「共同経営者になってくれ」と言って真知子からお金を出させたが、結局病院の名義は院長一人のものだった。本来なら、理事長として籍を置いて然るべきところを、単なる婦長という肩書きにされ、病院は院長の独裁だった。「若いオマエに負担をかけさせたく無いんだ」なんて、尤もらしく詭弁を打った。
 プール金も、真知子が毎月コツコツと自分の給料も含めて積み上げてきたものだ。院長はいつも適当な言い訳でのらりくらりとしていて、一度だって身銭を切った事は無い。それなのにこの前、真知子にむかって「無駄遣いは程々にしてくれ」と、ぬけぬけと言ってきたのだ。
『冗談じゃ無い!自分は必要経費だとぬかして、散々バーだ、旅行だと女遊びにお金を使っておきながら!私には汚れ仕事をさせておいて!』
 院長は、裏金作りや取引先との癒着、認可を得る為の根回し等、違法な事にも真知子を利用した。それを真知子が咎めると、遂に院長が本性を現した。
「なに言っているんだ!オマエが勝手に一人でやった事じゃないか。喜んでやっていたじゃないか。何を今更……。年増は面倒だね~。そろそろ更年期なんじゃないのか?無理が利かなくなってくる年頃だよ。オマエ、この辺で少し休んだらどうだ?」
 院長は真知子に恥辱を与え虐げた。

      *

 真知子はこの前の院長からの仕打ちを思い出し、全身が震えた。周囲の客達に気とられぬ様に、持っていたカップをテーブルに置いた。
『……アイツの魂胆はわかっている。全部こっちに押し付けて、自分はなに食わぬ顔で若いナースに乗り換えるつもりだろう。……バカにすんじゃないわよ!今更、裸同然で捨てられてたまるもんか!アイツの腹は探られたら痛いところだらけだ。こっちには隠し玉が有る。アイツの思い通りにはさせない!それでもまだ独裁を続けるなんてほざくものならその時は……。確か今夜の当直は、院長一人だ。深夜に突然行って、話を着けて来ようか……』
 
 もはや、高価な服も宝石も、真知子の慰めにはならなかった。


      3


《中村》というのが、本名なのかどうかもナゾだった。
 TVドラマ《必殺仕事人》で人気の主人公《中村主水》に由来しているというウワサもある。《医療業界の世直し人》ということらしい。しかし「聞いた事は有るけど、見た事は無い」という人ばかりで、都市伝説と同じだった。

 ただ、こんな話もある……。とある病院のとある手術で、執刀医が犯した医療ミスの責任を、病院は助手のせいだと虚偽の発表をした。勿論その真実は、ごく一部の者しか知らず、マスコミからも「助手のミスによる医療事故」と報道された。その助手は病院を解雇され、近隣住人からも白い目で見られ、辛酸をなめる事となった。そして無念の助手は、中村さんに仕事を依頼した。すると間も無く、執刀医と院長、理事長といった病院の上層部の人間が不可解な事故により次々と大怪我を負った。これに恐れをなした一人のナース……彼女はその医療ミスの現場にいて全てを目撃していた……がマスメディアに真実を語った。各メディアは直ぐさま真相を報道し、前回の誤報の謝罪をした。誤報の謝罪が迅速にされたのには、各メディアへの通達文……「確証を得ること無く安易な報道をした事は罪なり」……が送られていたからかもしれない。関係者はこれを中村さんからの警告文だと受け取り、恐れをなしたのだ。
 裁判も行われ、助手には慰謝料が支払われた。その助手は今、高度な医療技術を身につける為に渡米して、一流大学病院で腕を磨いている。これは、「中村さんが正義の鉄槌を下したからだ」と、真しやかにウワサされている。ウワサといっても、後日談含め真実である。只、そこに中村さんが携わっているかどうかの部分に関しては、確証は一つも無い。
「執刀医達の事故も偶然の事故であり、いわば天罰と言った方が正しいことだ。実体の見えていない〈中村さん〉を頼りにするのは依存新を強めるだけだ」という声もある。
 しかし、天罰だけでは片付かない、人為的な行為も確かに有る。でもそれが《中村さん》によるものなのかは、立証されていないのも事実である。

      *

《中村さん》とはいったい何者なのか?
《人》なのだろうか?それとも《組織》なのだろうか?

 医療業界は意外と狭い世界だ。内部告発も少なく無い。仕事をするのが中村自身とは限らなかった。

      *

 中村は入院生活を送っていた。もう随分長い。始まりは子供の頃だった。《ホテル住まい》という言葉は定着しているが、《病院住まい》というのはどうだろう?余り憧れる人がいないだろうから、流行りはしないだろう。中村の《病院住まい》は、一般の入院生活とは違っていた。中村が病院に居るのには、色々ワケがあるが、必要だし便利だからだった。安全に身を隠しておけるというと語弊が有るかもしれないが、あらゆる意味で身を守る為に、何度か転院した。郵便物は住所がわからなくても《病院の中村さん》宛てで出されれば、特殊ルートで中村に届くようになっている。不自由は何も無かった。外出だって、深夜だろうと海外だろうと自由に出来る。但し、他の患者さん達には絶対に気づかれない様に、コッソリと抜け出さなくてはならないが……。

 中村の実家は、元々は地方で代々続く大病院だった。曾祖父の代から地元の名士でもあり、人望の厚い一族であった。しかし、合弁話で騙されて病院を乗っ取られた。
 それは中村が未だほんの幼い子供の頃の事だったので、事情が分からなかったものの、大人達の様子が尋常で無い変化を見て取る事で、中村の精神も疲弊していった。
 祖父である当時の院長は自ら命を絶ち、副院長であった父親はその後の様々な処理で相当のストレスが溜まり、その吐け口を家族にぶつけた。妻は夫の苦しさを理解し耐えていたが、やはり限界があった。それを越えた時、狂気となり爆発した。家族は皆、中村を愛していたが、自分の事さへ思うようにコントロール出来ない状況下では、以前の様な愛情は注げなかった。心配した近所の夫婦が家の様子を見に行くと、暗い部屋で電気も点けず、中村が一人、放心状態で座っていたという。病院関係者が自分の家にひきとり中村の面倒をみようとしていたが、高熱を出していた為、緊急入院をする事になった。かなり衰弱しており、解熱剤を投与しても何日も高熱が続き、生命の保証も危ぶまれた。命が助かったとしても、何らかの後遺症が残るのではないかと考えられた。
 中村の祖父にも父にも、無二の仲間達がいた。しかし祖父も父も、仲間に迷惑はかけられぬと、誰にも助けを求めなかった。仲間達が状況を知った時は、既に一家離散となっており、唯一行方のわかる中村も、瀕死の状態であった。
 
 その後どうにか一命を取り戻した中村を、仲間達は皆で育てる事にした。ある開業医のもとで養子縁組の話も出たが、未だ中村の父母の行方が判明しておらず、戸籍はそのままにしておいた。その方が後に父母が戻って来た時に、中村にとって良いと判断されたからだ。中村は何不自由無く、多くの人から深い愛情を注がれて育った。
 中村は見目愛らしい事はずっと変わらず、勉強も良くできたが、時々不安定な精神状態に陥る事があった。そんな時は、関係者が一致団結してケアをした。海外にも知人の病院があり、最先端の治療や教育を受けた。日本だけでなく、世界中が中村の家だった。……世界中の病院がと言った方が正確かもしれない。
 中村の実家の病院に勤務していたドクターやナース達もまた、中村の味方だった。彼らにしてみれば中村はいわば、自分達が仕える大名家のお姫様だった。自分達は家臣であるかの様に義理堅く、中村への協力は惜しまなかった。院長や副院長は常日頃から勤務医達を家族同然に暖かく扱っていた。それが磐石な関係を築いていた。
 中村の父は病院が乗っ取られた際も、自分の事より先ず全ての職員の落ち着き先を心配し、病院に残れるように、又は別の病院に直ぐに働けるように取り付けた。私財を投げ打って従業員達を路頭に迷わせない為に奔走した。従業員達が皆、事無きを得たのは、中村の父のおかげだった。

 中村の実家の大病院が乗っ取られたのは、当事、その病院への勤務が決まっていた新米医師の裏切りがあったからだと、最近言われている。その医師は乗っとり事件後、間も無く開業したという。資金の出所は不明だった。

      *
 
 〈中村さん〉は、医療業界の問題……不正や汚職など……に対する世直し活動をしていると言われているが、本当の目的は、先祖代々続く大病院を乗っ取った張本人を探しているのだとウワサされている。
 そして最近、『その医師が判明したらしい。居場所も掴んでいる様だ。……近々、敵討ちをするのではないか?』というウワサもある。

*******第五章 に つづく********

お読み頂きありがとうございます。

大きな展開をむかえる第五章もお読み頂ければ幸です。

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☆エッセイ『シナモン・チェリー・パイ』(令和の枕草子)
 スタートしました。
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        なつのまひる